自己紹介

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静岡県焼津市に住む貧乏サラリーマンです。大阪出身ですが父が転勤族でしたのであちこちに住みました。

釣りの最初は小学校1年か2年生のころ夏休みに遊びに行っていた佐賀で祖父に教えてもらい、小川でハヤ釣りをしていました。

数年が経ち雑誌で佐賀のクリークにはライギョがいてルアーで釣れる!という内容の記事を見て衝撃を受けました。

当時は情報がとにかく少なく、「フィッシング」や「つり人」の少ないルアー記事を読み漁り、小遣いを貯めて安物ベイトロッドにキャスプロ5000V(当時のCMは凄かった)を購入し、かへるくんを持って毎年夏休みは佐賀でした。中学3年だったかな?佐賀城のお堀でハリソンスーパーフロッグを使い90センチのライギョ(未だに自己記録)を釣ったのは良い思い出です。

当時は千葉に住んでいましたが、近所の江戸川のコイ、ハゼ、ヘラブナ釣りがメインだったけどルアーがやりたくてバスにハマり始める。

この頃は「タックルボックス」や「秘密の釣り場」が発売になり、近辺だと雄蛇ヶ池にしかいないと思っていたバスが牛久沼や印旛沼、将監川にいる!?

将監川は小林駅まで電車で行ってボート屋さん(荒井ボート)から手漕ぎボートを借りて釣ってました。

国産初のフローター「小林商会タックルボート№1」を購入したらもう誰も止めることはできない勢いで釣りに行きまくりました。

その頃の学校は土曜日が半日あったので、終わってすぐに自転車にフローター一式括り付け牛久沼通いでした。

水郷と呼ばれる利根川周辺は、将監川、旧長門川、道仙田 辺りからバスの生息域がどんどん拡がりウブなバスが良く釣れました。

大学からは静岡へ引っ越し、東海大学海洋学部でお勉強(?)しながら、海洋釣魚部の友人と釣り三昧。

この頃の琵琶湖はバスが良く釣れ、合宿では朝から夕方まで釣っていました。

大学時代もソルトはほとんどやらず、年に数回、浜からワカナゴ、貝島の温排水でメッキくらいかな。

その後、就職で焼津へ引っ越してしばらくは結婚や子育てであまり釣りはしていませんでしたが、フライにハマり長野や山梨の渓流へ行きました。

そして近くで食えるもの釣ろうとソルトを始め現在に至ります。

そんな人生のほとんどを釣りと共に歩んできた釣りが大好きな焼津パパであります。

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